大スキ! 広末涼子さん&『ビーチボーイズ』

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help リーダーに追加 RSS 『愛と死をみつめて』はこんなに美しい(6)

<<   作成日時 : 2009/10/31 18:42   >>

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☆Timonさんのコメントを集めたものです。省略以外の改変は加えていません。


★『愛と死をみつめて』(2006年)の広末涼子さん(28) マコのぶきっちょ〔2006/04/21 01:19〕
DVDが届くのが待てない今日この頃。

物語の終わり(ミコの死)が近づくにつれ、どんどん登場人物が減ってゆきます。まず友達が来なくなり、医師や看護婦もいなくなり、妹さんやご両親さえも現れない。ミコとマコだけ。しかも、映像上、生前のミコを最後に見守る者は、写真スタンドと縫いぐるみのピョンで、病室には他に誰もいません。俯瞰しながら対角線を上昇し、遠ざかっていく視線は一体誰の視線なのか。
“世界の果てに置き捨てられた”、と言うことも出来るし、”やっと二人だけになれた”、とも言える。個室で二人きりになるのは、実にあの夜、手術を前にした幸福な五日間以来のことなのです。せめて最期にこの時間が持てて本当に良かった。大部屋での死はあまりに哀れですから。もっとも、死期が迫って部屋を移されたのでしょうが。
静かですね。この、死を前にしたミコが湛たえてる、”澄明感”、周囲の空間までも浄化してゆくような感じは、この静けさによるものが大きいのです。冷静に考えれば、おかしいと言えばおかしい。屋上はともかく、病院の廊下や、夕方の炊事場に誰もいないはずはないのですから。(「わたしが病人なんです」。)
(1)
2006/08/07 01:05

何度もしつこいのですが、このあたりからの広末が実にいい。もはや「演技力がどうの」と、いった次元を超え、自分の体を一種の”憑代”のように使って、大島みち子さんを再現することに成功している。(よもや“神崎すず”が再現する筈もないが、広末本人は多分あちらに近いキャラクター)若く惨かった死のありさまや、そこで断ち切られる愛の苦しみだけが表現されるなら、物語の性質からいっても当然なのですが、決してそればかりではない。
“どんな瞬間にも人が歓びを持ち、他者にそれを伝えることができること”、それが故の尚更の痛ましさや、”不在の取り返しようのなさ”といったらいいか、そんな言葉にならない程に微妙な感じを、今回、”愛と死〜”の広末涼子は実に巧みに演じていました。

今日はご命日なのですね。
(2)
2006/08/07 01:13


★『愛と死をみつめて』(2006年)の広末涼子さん(2) わたしが病人なんです〔2006/03/22 22:58〕
この、振り向きざまの「私が病人なんです」。
これだけで、もう”決まった”って感じだったんですね。「あっもうダメッ、嵌まったって感じか」。(表現力が乏しくて上手く書けない。察してください)以前、どっかのブログで、フェルメールの絵になぞらえた書き込みを見たけど、さもありなん。光の扱いの感じなんかが確かに似ている。どこかに必ず暗がりを残している窓からの光、炊事場のややうらぶれたセピアっぽい色彩とか。(※映画畑の作家が、殆んど映画として撮ってるのは大きいですね)
そもそも、広末は同世代の他の女優さんたち、竹内結子、仲間由紀恵とか釈 由美子、矢田亜希子などに比べて、特にレトロっぽいというか、昭和っぽい顔立ちだったりするわけではないし、一人だけ飛びぬけて美人というわけでもないのに、何故、今回はこんなにも魅力的だったのか。
(1)
2006/08/10 01:01

ところで、広末の存在感は普通の”存在感”というのともまるで違っている。むしろ変な言い方だけど、”希薄な存在感”、”今を在ることの危うさ”っていうか、掴まえていないとすぐ何処かに行ってしまいそうな、いっそのこと”非在感”なんて言葉があったら使いたい感じか。(WASABIのユミを思い出してみて、あれは放っておけない)
外国人もふくめて、他の女優からこの微妙な感じを感じることはあんまりない。せいぜい、今は亡き夏目雅子さんがこんな感じだったのではないか。晩年、映画“魚影の群れ”を撮っていた時、先日亡くなった原作者の吉村昭氏が本人に会っていて、後にその時の印象を書いてます。
(N.キンスキーじゃ怖いし、N.ポートマンは頭良過ぎ、W.ライダーは変わり者でやや暗い。透明感だけなら、フランスの名女優アヌーク・エーメだけど、広末には別にあそこまでの頽廃性は必要ない。ただ、この人たちと同じ小悪魔、蠱惑魔が入ってる気はしますね)
(2)
2006/08/10 01:05


★〔広末涼子さん、いま、何してるの?〕
本編を見直す時間がとれないので、とりあえず特典盤のみの視聴です。ドキュメンタリーが放送のものと違い、中身も簡略化されていて残念でした。

但し、いわゆる「やむ落ち」(やむおえず落としたカット)は貴重です。いっそのこと、TRICKの“腸”完全版がやったように、別立ての特別編集DISKを作って欲しかったと思うぐらいです。観たいですよね、このヴァージョンも。特に二人の擬似新婚生活とかの部分とか。それに、吉永版にあった焼却炉の場面や、臨終の場面も一応撮ってはいたのですね。ただ、やはり臨終シーンだけは無くて正解だったと思います。
とにかく、余韻を持って終わらせようと思うなら、“「二瘤駱駝の二つ目の瘤は登らない」”のが鉄則なのですから。
2006/08/26 00:13

旧吉永版は臨終のシーンを作っているため最後にむやみと人が増え、静寂感に乏しく、死の厳粛さを損ねてしまっている。その上、事実とも異なっている。TV普及以前の映画は物語を観客に周知させることが難しく、また上映時間の制約もあるので、どうしても説明的で絵解き的な映像が多い。とにかく、ドラマ的で一見収まりのいい結末を作ってはならない。また、いかに演技の約束事とはいえ、健康な女優や俳優に死体の役はやらせない方が良い。瀕死の病人までで十分ではないのか。

※大分前に書いたものなので、主張が喧嘩腰なのです。最近は丸くなった。かな?
2006/08/26 00:56


★〔広末涼子さん、いま、何してるの?〕
夏の流れ、真夏の死、夏の闇....。
生命力の横溢するはずの夏こそ、実は死にもっとも近い季節なのかもしれません。
昇りきったものは必ず降りるのが当然なのですから。確かに、“光”の問題は残念です。主なシーンは室内で進行したものなので、ドラマに瑕をつけることはないとは思うのですが、最期の屋上でのシーンなどがくすんでしまった。
逝く夏と逝く人と。残照とはいえ八月初旬の大阪の空なのです。もっと華麗で力強くあっていい。そしてそれは、ミコの眺めた最期の空、夕焼けでもあったのですから。

追記
このドラマの空とマジック・アワーについては以前にも随分書いています。映画であれば、理想の光を待って何日も(時には何年も)かけた話を知っていますが、さすがにTVでは無理なのでしょうね。そもそも、呼気が白く煙って映るのを防ぐのに氷を口に含みつつ“真夏”という設定自体に無理がありすぎる。テニスをするのに一々半裸になることもないし。
それに、いくらネタばらしが楽しいとはいえ、あんまりブルー・シートは持ってこないで貰いたい。やっぱり“興ざめ”ですよねぇ。
2006/08/27 00:57


★〔広末涼子さん、いま、何してるの?〕
今でも何処かのシネコンに掛かっていると思うのですが、「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」という映画を御覧になった方はおいででしょうか? DVDはまだのはず。「白バラ」は第二次大戦下のドイツでナチスと闘い、処刑されたミュンヘン大学の学生や教官たちが名乗っていたグループの名前で、ゾフィーはたった一人の女子学生でした。
(いかに戦時下とはいえ、反戦ビラを摺ったり撒いたりしただけで、数十人の前途ある若者を殺したのです。弁護人もろくにない即決裁判、しかもギロチンで)
物語の舞台になるのが殆んど拘置所の中なので、当然と言えば当然なのですが、ゾフィーはよく窓から空を眺めています。無論、鉄格子で醜く仕切られた空があるばかりなのですが、窓から見る空、光は自由への憧れであり、もはや決して行き着くことのない“命”の象徴なのですね。そして神の恩寵の先触れでもある。
(1)
2006/08/28 01:28

今回の「愛と死〜」でも、広末ミコはよく空を見ています。また、明るければ明るいほど、空は却って遠い気がするものではないのでしょうか。
偶然同時期に観たせいもあるかとは思いますが、死の物語りであったことを別としても、このふたつの作品は似ていたと思うのです。

ps.24時間テレビ観ました。
ナチスはいなくなっても、世界は少しも変わってはいない。
(2)
2006/08/28 01:29
※『白バラの祈り白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』のDVDは2006年9月22日に発売されています。


■ここにつぎの記事がはいります。
 広末涼子における12年の奇跡◇演技する女優について◇


★〔広末涼子さん、いま、何してるの?〕
役を演ずる女優について....。
セミ・ドキュメンタリータッチのドラマや比較的近い過去の再現、国民周知の事件とか、よく知られた人物を演じるのは難しいものです。視聴者の記憶の中で、過去のすべては理想化されているものと見なければならず、ただでさえ要求されるレベルは高い。それに、何かにつけ達成水準を減点評価したがる人は実に多いのですから。(→大コケするとリスクが大きい)しかも、広末涼子はこうした役を演じた経験はありません。役柄が提示する枠組みの中に自分を注入して行ける、言わば“職人”のタイプではなく、ある種、そうですね、「待ち伏せ型」で自己の感覚に頼った演技をするタイプの広末は、演じなければならない役柄から、自分を完全に抜き去ることは出来ないようです。と、言うか、そんな必要もなかったし、そういう役もなかった。正式な舞台演劇の学習体験のない広末のような女優の場合、結局は生まれつきの素質に頼る部分が大きくなるのだと思います。
(1)
2006/09/03 00:41

ところで、広末涼子は実に豊かな感情の表出をもっており、それは無論習ったものや習えるものではなく、彼女の生まれついてのものなのでしょう。ただし、演技となれば、それらは好悪とは別に評価されねばならない。プロなのですから。“「明朗で快活、他者との親和性が高い融和的な性格だが、時としてやや軽率なところもある」”、おそらく、こんなところが、まずまず好意的で、かつ一般的な広末像なのではないでしょうか。叩き専門の卑劣な人間は無視するとしても、今回、このドラマの配役に不安や不信感を持った人がいたとして、決して理由の無いことではありません。現に私自身もそうだったのですから。(2)
2006/09/03 00:42

さすがに、演ずる力が無いとまでは思いませんが、昭和中盤の空気感や人間の存在感、旧世代の日本人が残していた倫理性のようなもの、若くして克服不能な困難を抱え込んだ人間、いわれの無い“死”を押し付けられた人間が必ずや見せていたであろう徒労感や退廃のような、いわば“負の感情”をはたして広末が演技できるものなのかどうか。何より大島みち子さん、“ミコ”に見えなければ、こればかりはどうしようもない。(何しろ、昭和が終わった時、わずか八歳の広末を昭和人とは認めにくい)その上、まだ若いと言っていい監督が勘違いをしていることも絶対あり得ないとは言えないのですから。
結果ついて書く必要もありませんが、彼女は自分のMerkmalを随分と遠くまで持っていってしまいました。今後が大変になりますね。

PS.映画版の「東京タワー」は松たか子さんだそうです。
(3)
2006/09/03 00:44


★『愛と死をみつめて』(2006年)の広末涼子さん(26) あたし、もう覚悟してるんです。先生〔2006/04/20 00:05〕
....ここへ入院してから、日に何回となく窓辺に立って、倦かず見降ろしていたあの無数の色紙の細片をばら撒いたような、生き生きとした街はどこへいってしまったのであるか。
水で洗われたように鮮明で、美しく生命感に溢れ、一刻も同じ表情を持たなかった街....
井上 靖「化石」
(1)
2006/09/07 01:32

ウェディング・ドレスを着けるシーンに隠されてしまった為か、今まであまり話題になっていませんが、この、“夜のドライブ”の場面は特別に美しいシーンだったのではないでしょうか。それに、こちらは実際にあったことらしいですし。ただ、残念なことにご家族と出かけたわけではない。(「さそって下さる人があって〜」4月25日の日記)
このあたりから、“末期の眼”、“死者の最期の五分間”がはっきりと始まるのを感じます。
眼に映るもののひとつひとつに、ああして別れを告げていったのかもしれない。ドラマとしては、エピローグ、フィナーレに向かう布石と云ったら良いのか。
それにしても、どんな順番で撮影したのかも分かりませんし、ベニヤ張りのセットを眺めていただけに決まっているのですが、何と豊かな感情をのせることでしょう。
それも決して“負”の感情なんかではない。それは日常的な、あまりにもさりげない行為のなかに表現されなければならない死の気配なのですから。
やはり、彼女で正解だったと思います。広末涼子で本当に良かった。DVDで見返してみて、改めてそう思うのです。
(2)
2006/09/07 01:33


★〔広末涼子さん、いま、何してるの?〕
タイトルバックの最後で必ずといって良いほど表示されるとおり、ドラマは過去の事実を元にして作った一種のフィクションです。が、4月25日に夜のドライブがあり、この直後、4月の末から5月の初頭にウェディング・ドレスのシーンを置いたとすると、最期の3ヶ月間、臨終直前の病室のシーンまでには、唯ひとつのエピソードも入れられてはいません。ここに来て、原作はある意味で無視されてしまうのです。家族も友人も医師も二度と現れることはなく、ミコの視点さえ消されてしまう。この物語本来の主役であるマコの視点のみが重視されるようになり、そこでは、癌の転移による苦痛や、臨終の苦しみなどは決して描かれることはない。彼はその場には立ち会ってはおらず、見てもいなのですから当然なのです。何の説明も無く、物語は突然に進行を速め、ふいに断ち切ったように終ってしまう。まさにそこに、今回の「愛と死〜」が異様なまでの感動を呼んだ理由があったのだと思うのです。
(1)
2006/09/20 02:16

みち子さんの顔面に発した腫瘍に何の理由もなく、二人の出逢いに何の理由もなかったように、その死もまた、安易に理由づけされてしまってはいけないのだと思っています。
それに、どんな説明をしたところで、マコさんは決して決して納得しないのですから。
(2)
2006/09/20 02:18


★〔広末涼子さん、いま、何してるの?〕
台詞の「私は恋なんてしていない....」、及び二人の愛について。

ミコさんの恋は実に困難なものになってしまうでしょう。そして、この困難は当事者二人が努力すれば何とかなる、という種類のものではありません。顔の半分を失った上、片目も無くなってしまう。しかも、その手術に耐えたとしても、再発の危険は常に付きまとうのです。世間の冷たい眼、好奇の眼も忍ばねばならない。このまま愛を育ててしまった後、自分が死んでしまえば、マコさんには筆舌に尽くしがたいほどの悲しみと苦しみを与えることになりますし、生きたら生きたでずっと迷惑をかけ続けることは確実です。
おそらく、ミコさんは聡明すぎるほどに聡明で、深い洞察力を秘めた人でした。“自分が結局はどうなってしまうのか”、気づかなかったはずがないのです。もちろん、そこで“恋”をすることの意味も。大きな逡巡があったのはむしろ当然ではないでしょうか。
にもかかわらず、恋を、あの愛を望んだところに(ある人間的な弱さのようなものも含めて)この物語の核心があったのだと思っています。
2006/09/23 01:11

...草の輝くとき、花美しく咲くとき、
再びそれは還らずとも嘆くなかれ、その奥に秘められた力を見出すべし...
        ワーズワース

映画の「草原の輝き」は傑作ですが、物語は悲しくてひたすら空しい。進むべき時に進むことが出来ず、破滅する恋人たちです。
「愛と死〜」はむしろ幸福の物語でしょう。少なくとも、ミコとマコは恐れずに進む勇気がありましたから。
2006/09/23 01:31


★時と場所を超えたミコとマコ〔2006/09/30 21:58〕
我々が知っている昭和は概ね終戦とともに生まれたのです。ミコとマコの物語は昭和35年の夏に始まり、38年の夏に終わっています。そこで昭和は僅か15〜18歳の若者であるに過ぎない。もちろん、思春期もまっさかりであり、犬童監督のいう“ある罪深さ”の意味も、おそらくはこの若さと深く関連している。世間というものの疎ましさ。時代精神というもの。 実際、若いということは悲しいことで、世間に対しては未だ何の力もない。しかも、ミコはおそらくは再起不能の病人であり、マコは仕送りも満足にない苦学生に過ぎないのですから。
(1)
2006/10/01 01:21

繭のように籠もること。
世間のしがらみや喧騒を棄ててしまった人間だけが辿りつけるような夢の世界がある気がする。生産の理論も因果律も信じない人間、特異な精神状況にある人にだけ時折開かれる秘めやかな異界のような、いうならば隠れ里、“塀にあいた緑の扉”からのみ覗ける世界が。山奥で二人きりで暮らすのはいいかもしれませんね。どうせ人はいつかは死ぬのですから。
現実には死ぬまで治療を受けねばならず、病院を離れることも出来ないのですが。なぜかそんな気もするのです。

「ぼくは二十歳だった。
それが人の一生で一番美しい時期だなど、誰にも言わせない」。
ポール・ニザン
(2)
2006/10/01 01:23


★エド K.さんのコメント集成(1)〔2006/10/03 21:37〕
マコさんの結婚について...。
はっきり言って、旧作の吉永版は実に暗澹たる展開で逃げ場がなく、他者に提示する作品、映像としても工夫に欠け、あんまり好ましいものではないとずっと思っていました。
我々が新作の広末版を半ば安心して観る事が出来るのは、マコさんがその後の人生を幸せなものとして生き、今も健在であることを知っているせいだと思うのです。
それに、仮にマコさんが自分の人生に誇りを持つことが出来ず、今現在が不幸だったとしたら、この物語が再び製作されることは決して無かったことでしょう。

追伸:ここは仙台なのですが、なぜか今日と明 日は”YOSAKOI”祭りです。なんで?
もちろん、本場仕込みの広末は来ません。
2006/10/09 01:05

(作成日時 : 2007/03/02 16:06)


旧コメント

☆「私は恋なんてしていない...」
ニブニブの私には、まだピンと来ていませんが、以下の説明でわかったような気分になっています。
「にもかかわらず、恋を、あの愛を望んだところに(ある人間的な弱さのようなものも含めて)この物語の核心があったのだと思っています。」
saki
2007/03/02 16:31

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